一人ではどうしようもないこと

最近思ったことを備忘録的に書いておきます。

世の矛盾を強く思って、それを正そう(糺そう)という行動として、
思ったことを自分と自分の家族だけがそれを行っても社会が何も
変わりやしないことを何とすればいいのか、と。

例えば、学歴社会。
正確に言えば学歴偏重社会ですね。

偏差値1の差を巡って、本来野山で遊び回り、人間として人間らしい
育ち方をするのがいい小学生時代から塾通いをして、
過大な費用をかけて、記憶することや推論する事を毎日毎日強いる
こと。
明らかにおかしいですよね、こんなこと。
しかし、それをおかしいと思い、『こんな学歴偏重社会はおかしいと思います
から、沖野周平とその家族一同は、子供に勉強させることをやめさせることを
ここに宣言します。』などと、SNSなどという媒体で発表したら、どう、なる
でしょうか。

これ、なんにも起きません(笑)。

例えば、政治の在り方。
既得権益を持っている人のその権益を増長するためだけに、
政党が財務省や医師会や経団連など、権益団体にコントロールされ、
それが実際、有史以来ずっとそうなのですが、その在り様が顕著になって
サヨク史観全開の教科書ながら江戸の庶民の虐げられていた時代の五公五民
を超え、六公四民とも七公三民ともいわれる時代になりました。
この状況をみて、
『沖野周平とその家族一同は、日本の政治の欺瞞に耐えられないため、
所有している土地に国を作ろうと思います。』
なんて宣言したら、公安の管理対象になるかもしれません(笑)。

なにか大きい、規模がある程度ある問題について、自分が問題を感じても
なかなか直すことは出来ず、時間は経っていくばかり。

業を煮やして、もういい、と 自分のできることに集中しようと見る範囲を
自分のコントロールできることだけに意識をむけて生きてみたところで、
結局社会全体の問題がなんら解決されない状況では、自分にも間接・直接
的な悪影響が及んで、自分の殻に閉じこもろうにも、閉じこもりきれない。


・・そうなると、いよいよ、また思考は、(大きい社会問題をどうしたらいいのか)
と悩み始めるのです。

で、最近ふと思ったことがあるんですよね。

(自分の殻に閉じこもる)と(社会問題を抜本的に解決するの)の、
極小と極大の間のことで、自分の出来る事をやったらいいじゃないのか、
と。極大のことなんて、自分どころか、普通の人には出来ないことなんですからね。
冷静に考えてみると。

具体的には、
例えば、ちょっと肩ひじを張る感じだとNPOを立ち上げる、とか。
そこまで肩ひじ張らない感じだと、とあるサークルをつくる、とか。

具体例をあげれば、山奥ニートの人たちですよね。
彼等は既存のNPOに乗っかって、NPOを立ち上げた元教師の方が
無くなって正式に引き継いだ形、みたいですけど。
実践していますよね、自分の思う理想を。
仕事というものに縛られて、自分の時間など無くなりがちの現代社会の
(働く)という行為に対して、自分の思うところを完全か不完全と思っているか
はわかりませんが、かなり実現して、それを自分たちで閉じているわけじゃなく
発信して、新しい仲間を受けれて、ということをしています。

こういう人たちの行動に、今の自分は近づきたい、という思いがあります。

例えばサークルだったら、そのサークルの柱(趣旨の柱)をしっかりして、
募集するサイトを見栄えのする形で作ったりすれば、
それなりに人は集まるのではないか、と思ったりするのです。

思いを具体的にしていく術を本気で探れば、
何度も言いますが、社会全体の問題のてこ入れじゃなければ、
それほど、実現可能性が低い訳じゃあない、とそれなりの長さの人生を歩んでいると
わかってきます。

極大と極小の間、(少し肩ひじを張る程度の規模)で、
自分が問題だと思うことを 解決しなくてもいいから、その問題を共有したり、
話合ったりする集団、みたいなものを作ってみたいなあ、とぼんやりと思ったり
しています。

(少し肩ひじを張る程度の規模)の集団は、何についての集団にするか。

思うところはありますが、恥ずかしながら経験や資格、諸々自分には足りておらず
ここで書いたところで、それを実現する可能性はかなり低い為、書けませんが・・・・。

しかし、いつか
そんな集団を作ってみたい。

そう、思っています。

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