頭のいい人の成熟



この動画と、以前ですが、この動画よりもっと若い養老先生を
別の動画でみたことがあるんです。

この若い養老先生をみたのは、今の(好好爺)的要素を持った
養老先生の、講話や対談を散々みてから、だったんで。

いやあ、人っていうものはこんなに変わるものなんだなあ、
とつくづく思いました。


情がある、情け(なさけ)を感じる、というのは
その人の話し方、物の見方、捉え方なんかだと
思うのですが。

多分、話し方、物の見方、捉え方、全て上書きされているという
印象ですね。

ご年配になった養老先生は、
温かい話方になっているし、物の見方、捉え方も 聴いていて
(ああ、優しい視点だよなそれは)と感じることが多いです。

例えば、細菌の話。
無菌滅菌とうたった商品がやたらと多いが、人間の体にどれだけの
数の最近が住んでいて、それが如何に人間の生存に貢献しているか
ご存じか?という話をされていたことがありました。

具体的な数は忘れましたが、驚くほどの数の最近が
例えば腸だったり、その他臓器に居て、役割を果たしていることは
自明ですよね。
それをモノを売りたいのはわかるけど、やたらめったら滅菌だ、
無菌だと騒ぐのはいかがなものか、というお話は。

若い頃の養老先生よりご年配の養老先生が語ったほうが
腑に落ちるだろうな、と思って 聴いていたことがありました。


金を得る場で、これ以上ないだろう、という偏差値の国公立大学を
出て、その脳力を仕事のフィールドでいかんなく発揮している人が
います。
彼をみていると、この若い頃の養老先生を思い出すんです。

周りが彼の能力についていけてない場面なんかを何度かみたり
自分もそう思ったりしたことがありましたが、

(若くて・能力があって・問題点を是正することができる)

ということは、同じことが出来ない人間を邪魔に感じたり、
愚劣に思ったり、蔑みの対象にしてしまったりすることがあるんだと
思います。

自分だって、能力は人並み以下ですが、
それでもそんなことを思うことがあるんですから、天才秀才の人間は
かなりそう思ってしまうのでしょう。

しかし、この養老先生の実例をみると、安心します。

金を得る場の、この最高級偏差値男性が、
将来、養老先生のようにいい形で人間的な上書きがなされ、
まわりの人々を導いてくれるような
そんな存在になってほしいなと、日々思ってその彼を眺めています。


人の変貌、特に(成熟という名の変貌) というものは
いいものです。


養老先生。尊敬致します。

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