さくらももこ展

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今日、さくらももこ展を観てきました。

もものかんずめ、たいのおかしら
エッセー集が好きでしたね。

ちびまるこちゃんの漫画原作も好きで読んで
いました。

エッセー集を買って読んでいたら、
当時実家にいた長兄から、
『なんでそんなダサい読み物読んでんの?』
なんて、いつもの蔑み調で言われたなあ、と当時のことを
懐かしく思い出しました。

『まあ、ダサいと思うなら思ってもらっていいけど、
このエッセーはそれぞれの作家のエッセーと比べても
面白さでは負けないと思うよ。』
と若い自分は、当時の自分なりに反論したんですが(苦笑)。

『もっとちゃんとした文学っぽいものを読めよ、お前は。
そんなの読んでたって文学論は語れねえぞ。』
なんてことを言われ、(なにが文学論だ、偉そうに)なんて
思ったものです笑。

懐かしい想い出です。


このさくらももこさんの、エッセーの読ませる力、
漫画の起承転結のしっかりした作り込み、
笑わせるところでしっかり笑わせ、
泣かせるところでしっかり泣かす、技量。

この辺は勉強になったと思っています。


今日、多賀城の東北歴史博物館のさくらももこ展を
みてきたんですが、率直に感想をいうと、もう少し
創作の準備資料とか、泥臭い苦闘の記録とか、
横道にそれた寄り道資料だとか、そういうのがあれば
うれしい、と思っていっただけに、その辺の資料が
あまりなく、ちょっと残念でした。


かがくいひろしさんという。
絵本作家さんがおられまして。

その方はもう他界されたのです。
だるまさんが。
等の絵本でブレイクされた作家さんなんですが、
この方の展示会を福島県美術館でみたのですが、
この展示会は本当にたくさんの製作にまつわる資料が
展示されていて、かがくいさんの人となりがもう、
よーく、ほんと奥底まで解って、
(いやあ、とても貴重な場だなあ、製作者とはこうある
ものなのだなあ)というのが、しみじみとわかったのです。

さくらももこさんはファンなので、
その辺を期待してしまってから、行ったので、
資料が漫画の原稿(原紙の)がかなり多かったので、その
辺は残念でした。

しかし、バイタリティー溢れる彼女の人生を感じることは
出来たので、楽しかったですね。


『仕事はその人間の自画像である。』
といいます。

金を得る方の仕事では、わたしはおそらくあまり良い自画像を
描けていない気がするんですよね苦笑。

ラジオドラマという媒体を使ってのライフワークでは、金を得る
方の仕事よりは、多少マシな自画像を描けている?自負はあるので
すが、他者評価はわからない部分が多いので、なんとも言えません。


父が亡くなり、遺品整理で母がごちゃごちゃ文句を言っているのですが、
わたしが死んで、わたしのラジオドラマの制作の痕跡は、
娘から文句の対象になるのでしょう。
なんて、わかりきった悟り人のように書いていますが、
いま自分のある意味では、人生最大の悩みがこれなんです。


自分の自画像の残滓を、遺族はどう扱うか。
それは難しい問題で、さくらももこさんやかがくいひろしさんみたいに、
一線級の活躍をされた有名作家と違い、わたしはしがない無名のラジオドラマ
作家。

被害者意識でも、ネガティブ思考でもなく。
客観的に、一言では言い表せない、気持ちがあるんですね。
悔しさと、
それでいいんだという気持ちと、
負け惜しみのような気持ちと、
実は勝っているはずという励ましたい気持ちと、
独りよがり的な虚しさと、
世の中から無視されているような気持ちと、
世の中から邪けんにされているような気持ちと、
結局これを取り組んでいる自分の人生とはなんなんだろうという
気持ちと。


売れっ子作家さんの中にも、売れない作家が思うことと
ちょっと似てる感情や 似て非なる感情があると思うのですが、
その辺をさくらももこさんの中にどんなものがあったか、
というところを見たかったんですよね。

自分の気持ちがなかなか、誰か自分以外の人と、共有できない
だけに。


まあ、売れない書き手がグチグチと、アマチュア全開の泣き言を
書いてしまいました。


誰から強制されているわけでもない、このラジオドラマ制作が
辛くなったらやめればいいだけなのです。

しかし自分は、やめていないのですから、
やはりそこには何か(サムシング)があるのでしょう。


こんなことを考えながら、展示物をみた一日でした。


さくらももこさん、亡くなったのが信じられませんでした。
ニュースを聞いたとき、ずきん!と脳髄に重い刺激をうけた
ことを覚えています。


楽しませてくれて、ありがとうございました。

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